ananの名付け親、黒柳徹子さんだったって知っていました?
黒柳徹子さの好きなパンダの名前だったんです。それで表紙にパンダのマークがあるんです。ananが創刊されたのは1970年ビートルズが解散した年だ。
神保町の小宮山書店のサイトに次のようにある。
anan 創刊号 1970年3月20日
平凡出版 
表紙モデル:MARITA GISSY (Miss Dior) 
アートディレクター:堀内誠一
モデル:立川ユリ、鰐淵晴子、
筆者:澁澤龍彦、片山健、三島由紀夫 /
表紙の撮影は立木義浩さん。
 立木さんはご存知のように四国の100年以上続く名門写真館の次男、お兄さんは細江さんと同級生で三男の三郎さんはananのメインカメラマン。立木さんが大学の時、銀座の富士フォトサロンで家族写真展、写真館の写真展を開催されることになり展示に関してお兄さんが細江さんにアドバイスを求めたところ堀内誠一さんを紹介される。写真館は長男が継いでいて次男の立木さんは東京で就職するしかなかった。写真展の展示構成をしてもらった堀内さんに「なんか仕事ないですかね?」と電話したところ、「ウチ来る?」というこ堀内さんの会社、ファッションに特化したデザイン事務所のアドセンターに入社することになる。
 堀内誠一さんはアンアンをはじめ、ポパイ、オリーブ、ブルータスのロゴをデザインしている。堀内誠一さんとマガジンハウスとの関係は古く、塩原幸登著の『雑誌の王様』によると堀内誠一が中学を卒業して15才で伊勢丹の宣伝部に入った時に平凡出版(現マガジンハウス)の創設者の一人の清水達夫さんが堀内さんを訪ねて「いつか、君と一緒に仕事がしたいね」と言ったっと書かれている。その10年後独立、当時平凡出版(現マガジンハウス)の副社長だった清水さんが『週間平凡』のファッションページのディレクターとして抜擢したのが始まりだった。撮影は立木義浩さん、当時20歳。

You may also like

Back to Top