さよならELLE JAPON
 1989年、アンアンの創刊号(1970年)からELLEをライセンス出版していた契約が更新の年だった。編集長の平沢さんは『ELLE JAPON」の編集長で「食事に行こう」と言われた。店に行くと彼は「ここだけの話だけど、、、」と切り出した。「タイム・アシェット」との契約の打ち切るという話だった。タイム・アシェット社はELLEの海外でのライセンス出版の管理をしている会社でマガジンハウスはアンアンの創刊号(1970年)から提携をしていてた。日本の他社が出しているライセンス誌と違いエル・ジャポンは表紙も含めて90%以上を日本で編集していて『ELLE』を日本で広めたのは自分達だという自負があったのだ。それで2号連続で『さよならエル・ジャポン』号出すので撮ってくれない?と言われた。1ストーリー4ページで2ストーリーで8ページ。予算は無制限だと言う。雑誌にはページ単価というものがあって大体マガジンハウスでは10万円位。今回はトータル8ページなので普通ならば80万円。今回は無制限と言う事らしい。他のカメラマンならいざ知らずお金の使い方は前澤さん同様よく知っている。
 撮影は竹芝生埠頭を借り切った。ドキュメンタリー映画でELLEの撮影風景を撮っているスナップ写真のようなの写真を撮りたかったのだ。ストロボ30台、発電車、放水車、ヘアーメイク用のワゴン車、クーラーボックにはシャンパンにワイン、車、ストロボには大きなELLEのロゴを入れた。モデルは一人だが、それぞれの車のオペレータ役とカメラマン役、そのアシスタント役、ヘアーメーク役で男のモデル5人。使う車両とストロボのレンタル代だけでもその時点で記録は達成いているが永遠に抜かれない記録にしたのはフィルムとその現像代だ。使ったフィルム270本。なぜそんな量のフィルムを使ったのか?その時に使ったストロボはZIGENのお父さんが社長の写真電気工業のストロボで元々は映画撮影用に開発されたもので1秒間に24回発行できるもので写真ように秒間6コマの撮影ができるものだった。セッティングには寺下さんが来られて発電車とストロボの調整をしてくれた。
 なんでこんなストロボが必要だったかと言うと映画のように複数のカメラで発電車、放水車、モデルの周りそれぞれの位置に配置しているのだ。カメラは赤外シンクロでストロボは秒間6回のチャージ、発光ができるのでモータードライブで連写しないか限り何時、誰が、何処でシャターを切っても30台のストロボが同調格好するのだ。フィルム270本使ったのと車両のオペレーターに外人を使ったのはその理由。奥にボケて写っていてもそこに日本人が写っていると『嘘』とバレてしまうからだ。あとで、編集者に聞いたところ費用全部で300万近くかかったとの事だった。ページ単価70万以上だった。しかし、使用された写真は抑えにモデルを正面から撮った写真だけだった。​​​​​​​


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